病と共に生きていく…ということ。
本日、朝の通勤電車の中で読了。ボロボロでる涙が止まらなかった。巻末のお父様の話は特に。
お父様はじめ、ご家族の方の息子さんに対する尊敬が目に見えるようにわかるお言葉の数々。自分を超えて、人生を終えたと思いつつも、自分の息子で間違いないという、強いお心。そのようなご両親に育てられたから、彼の人生が今を生きる人々に今も影響を与えている存在になった…ということだと思う。
ネタバレとはなってしまいますが、最後のお父様のお話の中で、村山さんがご存命の時に同病の方々に向けて語ったお言葉で印象的な言葉があったので、簡単に触れさせていただきます。
『病気を短所と思うより、長所と思い、人と違う人生を歩むぐらいの気持ちが大切。
もし健康だったら…と思うこともあるが、ない物ねだりをしても仕方がない。もし健康だったら健康な体への感謝の気持ちも、障害者の方への配慮もわからなかった。』
なんとまあすばらしい。この言葉が単なる口先だけではない…ということは、この本1冊読み切った方なら誰しも理解できるはず。それだけ強い精神力と、病と真っ向から向き合ってきた志から生まれた言葉なのだろう。
私はというと、ここまでの域には達することがおそらくできないと思うけど、MSになって今までにわからなかったちっぽけな幸せとか、健康な人よりは感じられるようになったと思う。あと、バカなのできっとこの病になっていなければ、これから先何十年も健康な人生が自分の前には広がっている…と思っていたはず(笑)それだけでも気づきがあったなら、それはMSのお陰というもの。少しずつ、病との向き合い方が変わっていって、少しでも前向きになれたら、それだけで十分かなと思いました。
しかし梅雨に入ってから、少々仕事で残業することも増え、日課のヨガもできず、お休みはぐうたらする毎日を続けていたら、だんだんと脚のしびれがひどく、立ち続けることがつらくなってきた。これを再発ととるのか、症状悪化ととるのか?
毎日モヤモヤしています・・・。とりあえずは、村山さんのことを見習って、主治医に再発防止薬を試してみることの相談と、このまま筋力低下するのを防ぐためにもヨガは無理ない程度に続けること、それが私の課題かなと。
自分の人生だから、自分で歩いていかないとね。
「自分は自分以外の何者でもない」という当たり前の真実。
まだ読んでます。
最終的なことがわかっているので読み進めるのがつらいというのもあるのですが。
その中で記憶に残った一節。
(以下、引用です)
『もし自分が病気でなければ、そう考えることは村山(主人公)には何の意味もなかった。病気を抱えながら生きる自分が自分自身であり、それは切り離して考えることはできない。病気が自分の将棋を強くし、ある意味では自分の人生を豊かなものにしているのだと考えた。』
このように病を認めて、肯定して、やがてくるやもしれない死も受け入れつつも、でも前向きに生きようとする力。
誰とでも正直に、嘘偽りのない発言を貫いた強い心を持つ人。
なんだか、本当に本当に感動した。私もそのように思えるほど、強くなりたい。
そして同時期に同病の方のブログを拝見したところ、やはり同じような記述が。
『自分は自分以外の何者でもないのだから、未来を少しでも明るくするために今できることを努力しなくてはいけない。』
ほんとそうだよね。
今思えば、私は生きていてつらく苦しいことがあると他人や家族に助けてもらうことが多かった。それにどっぷり甘えることになれた私は、きっとこの難病を患った時も、『きっとどうにかしてくれるだろう!』とどこかしらで思っていたのだろう。
ただ頭の悪い私は、理解するのに時間がかかり、今ようやく難病を抱える自分自身が、これからの人生を左右させるのだから、ちゃんと自分で行動しないといけない・・・と思うようになったということなのだろうか。
引用した本の主人公、村山聖さんのような生死にかかわる病ではない。ただ、いつ症状が悪化するかわからない。毎日症状は違うし、その感覚は言葉にしづらいので、自分自身で受け止めて、対処していくしかない。今ようやく腑に落ちた…という感じだろうか。
甘ちゃんな私には少々荷が重いけど、これから先あと何十年いきるのか、明日死ぬかはわからないけれど、とりあえず前向きに行動していく為の、難病な自分なりの答えを日々模索していかなければならないのだなと思う、最近であります。
病を抱えながらもがむしゃらに生きること。
映画化もされた、「聖の青春」を今読んでいます。
きっかけは、病を抱えていて早世されたということと、若くして将棋界を牽引していたという天才だった…ということを知り、興味を持ったのがきっかけ。
まず、彼を取り囲むすべての人々の彼に対する愛情がハンパない。作者、ご両親、そして将棋の師となる人。みんなみんな彼に特別の愛情をもっているのが伝わってくること。
そして彼自身が病にまけず、一つ自分の信じる道(将棋)を突き進む行動力、力がとにかくすごい。
私なんて、毎日自分ひとりで生きるほど、病がひどくないにも関わらず、よくもわからない未来について、勝手に病気でできないんじゃないか?と妄想を膨らませて悔いてばかり。そして、自分には何一つやるべき希望も夢も仕事もないとあきらめて、日々省エネモードで目的もなく、ただ生きていいるだけ。そして家族がうつになったから…とか、文句ばかりたれている。
駄目だなぁ、と再認識した本です。
まだ読んでいる最中なのですが、彼がどのように羽ばたくのか、覚悟をもって読み進めたいと思っています。
クワイエットルームへようこそ。
夫婦共に鬱状態の今、絶対に見てはいけない映画でした…
きっかけは先日日記に書いた山ちゃんの結婚。蒼井優がこの役を演じるためにすごいダイエットしたと聞いて、内容をよく調べもせず、Amazon primeで視聴。
今、プライベートがマリアナ海溝みたく、深ーい深い溝状態なのですが、この状態を続けると夢も希望もない…ということだけはよーくわかったので、気持ちを切り替える良いきっかけになったかも。
いまだに「この病気ではなかったら、こういう人生が送れた」と思っていて、どこかで他力本願な自分がいて、自分自身の病を受け入れられない状態だけど、少しでも自信を取り戻して一歩前に進めたら、次は夫のことを考えられるのかもしれない。
他人と家族になるという奇跡。
山里さんと蒼井さんの結婚に驚いている方も多いと思います。
私みたいな人見知り30云年wの経歴を持つものから言わせていただくと、「他人と家族になる」結婚ということが、奇跡に近いことだ…と今改めて思っております。
まったく別の環境で生まれて、別々の親に育てられて、当然性格も、性別も(カップルによるけど)違う人同士が、『魂が触れ合えた』と思う瞬間があって、『よし、この人となら結婚できる』と思うこと自体が奇跡なんだなと。
お二人の会見で、蒼井さんが彼を好きと思ったきっかけを引用すると、人を許せる境界線と、許せない境界線が一緒…とか、金銭感覚が同じとか、冷蔵庫をすぐ閉める…とか(笑)
きっかけはカップルの数だけあると思いますが、とくに付き合ったばかりや、結婚を決めたタイミングだと、そういうエピソードの宝庫だと思います。
うーんと、何が言いたいんだろ(笑)
とにかく、このようなエピソード、実は我々夫婦にもあったわけで、今いろいろ思うところはありますが、でもそんなこんなで結婚という奇跡を選べた訳だし、魂が触れ合えた相手に出会えたこと自体が素晴らしいことだから、私はやっぱり幸せだと思った訳です。自己愛が過ぎてすみません。
ここからはお二人関連のもの(会見、その後の山ちゃんのラジオ)を見て・聞いての率直な感想です。お二人と、それを取り巻く人々がとにかく人間らしくて、愛情深くて、何か言いたくなっちゃうんです。
相方・おしずさんの、結婚の話を初めて聞いての一言。
「今まで地道に頑張って生きてきたら、いつかちゃんと報われるんだね」
これは泣かずには聞けない。
一番そばで見ていた相方から、こんな発言が出るなんて、よっぽどお二人の人間力が素晴らしいに違いないと思ってしまいます。そして信頼ですね。大変な世界に身を置いていらっしゃるのに、こんな人に出会えること自体奇跡。
そしておしずさんが女優として出演された映画に蒼井さんが出ていて、夫婦の出会いのきっかけを作ったという奇跡・・・。なんとすばらしきかな。
そんなこんなで、一般人で少々病んでいた私もなんだかこの3人から元気をもらい、今日も元気に会社に出社できている訳で。
そしてGWからずっと会社を休んでいる夫を見て、憎しみしか感じなかった自分を恥じています。
MSになって、半年休職して、夫が鬱を患い、日々のあれこれ…家の掃除とかがおろそかになり、金銭的にも困窮し、落ちるところまで落ちた我が家ですが、あの結婚を決める『奇跡』が我々にもあったのだから、これから少しずつまた変えていけばいい…と少し前向きに思いました。
きわめてプライベートな内容で申し訳ありません。でもお陰様で気持ちの整理がつきました。
また次は普段通りの読書録に戻りたいと思います。
だから本のタイトルが「彼女たちの場合は」なのね!
前回書いたこの本。ようやく読了。読み進めるのが、もったいなかった・・・
以下、ネタバレ含みます。
結末や、登場人物のその後を、物語の時間経過を無視して、突然予告するスタイルに疑問をいだき、この記事を投稿したのですが、すべて読み終わって、そして江國さんのインタビュー記事を読んで、ようやく納得。
「彼女たち」とはレーナやイツカだけではなく、レーナのお母さんも含まれていて、
その彼女たちの場合は・・・としたため、その責任?をとって結果を記載しているのでは?と私は理解しました。ただ、レーナのお母さんが離婚して日本に帰国したことはしっかりと記載されてるのだけど、イツカがゲイのパートナーを亡くした男と同居する・・・てくだりが、『ハっ?もしやそれは編み物男クリスのこと???』と、勝手にイツカとクリスが付き合うと思っていた私としては驚いた訳で・・・
でも、クリスならそれもありだなと。
まぁ、いろいろ書きましたがとにかく面白かった。
大人になりきれない年齢の女の子たちが旅で見た景色やであった人々を通して、成長していくところ、レーナのコミュ力高いところ、イツカの神経質だけどしっかりした、それでレーナを愛しているところ。リオナの別れを決心するところなどなど。
江國さんのような文章力と観察眼がほしいなーと思いましたです。
ちなみに。
江國さんの作品にはよく、真面目で純粋がゆえに暴力的になる男が出てくる(今回だと潤)のですが、もしかしたら実際の人物なのかしら…と思ってしまいました。とても特徴を捉えられているから。
かくゆう私の夫もまさに同タイプで、どうしても潤を夫にもつリオナに感情移入をしてしまうわけで。純粋だから不器用で感情表現が下手で、ついつい身内にきつい物言いをしてしまうところが似ているのです。男の人って、調子がいいときはどんどん上り詰めるけど、途中で何かハードルがあって飛び越えられないと途端に意気消沈してしまうという…。
なんだかいろいろ家族のことまで考えてしまいました。
昨日山ちゃんと蒼井優の会見、見ちゃったからかしら(笑)
少女たちよ、旅をせよ。
長らく筆が遠のいておりました。いろいろあったので、いつか余裕があればお伝えするとして、今読んでいる本のご紹介。
現在進行形で読んでいるので、結末はわかりませんが、とにかくおもしろい。読み進めるのがもったいないと感じるほどに。
近年、不倫もの多いなーと思うこともありましたが、「~しじみちょう」あたりから昔の江國さんらしい作品が復活してきたような・・・。
いや、昔よりパワーアップして、より子供の時の繊細な気持ちやその気持ちの質感などが、事細やかに表現されているような気がする。
読んでいると、レイナとイツカと旅をしているような、または二人の両親の気持ちに(勝手に)なって、ハラハラドキドキするような気持ちになる。とても感情移入してしまうのです。
私も幼いころ、こうやって心強い友達と世界を旅したかった…と思ったりもしました。若い時の感性って大事で、旅先で感じたことをレイナのようにノートに記録しておきたくなる気持ち、わかるな。
ただ読んでて感じたのは、いままでの江國作品になかった(…と個人的に思う)記載方法。ストーリーで起きる出来事を、前もって予告するような書き方、以前はなかったような。
今回は、二人がいなくなる前に、そういうなにがしかの事件が起こるような気配が記載されているのです。あの『落下する夕方』で華子が自殺する時でも、予告はなく、ただ事実として、物語の中の時間の経過にそって書かれていたというのに。
そこだけ、なんだかなーと個人的には思いました。
江國さんの作品には、そういう予告なんて必要ないと思っていたので。淡々とした、一見、登場人物を客観的に突き放したような冷静な進行が、個人的には好きでした。
まぁ。そんなことは抜きにしても、心底江國信者の私は、大好きな作品に変わりはないので、今後ちょっとずつ、読み進めていくのであります。
前回のブログで朝の通勤について書いたけど、今当駅始発の電車にのっているので、朝の読書の時間めっちゃあるのです。ただその時間をぜんぶ読書に費やすと、すぐ読了してしまうので、あえてANNとかアプリで聞いたりしてますが・・・。
本文とまったく関係ないけど、菅田くんのANN、おもしろいですね。オードリーの次に好きです。